義足のダンサー

人間は生まれながらに定められた自分の台本を持つ。
それは変えられない。
でも、だからこそ、その台本を自分らしく演じきらなくては、

「決められた運命ならば、自分でその道を歩いてみせる」義足のダンサー 大前光市   

 

世界的に有名な大前さんですが、なぜ左足を失ってしまったのか、

交通事故が原因で

突然片足を失ってしまったそうです。

その事故原因は飲酒運転車。

雨の日の夜、天王寺動物園の脇で

泥酔した酔っ払いが運転していた

車にひかれてしまったのです。それは2003年、

大前さんが23歳のときでした。

 

大前さんは15歳で舞台芸術に関心を持ち、高校生の頃から

舞台に立ってきました。

 

大阪芸術大学ではバレエダンサーとして有名な堀内充氏に師事し、

自身のソロや振付作品も創作し始め夢と希望に満ち溢れていた頃に

その事故が起こりました。

皮肉なことにもそれは入団オーディションの前日の出来事だったそう。

 

それから大前さんは痛みに耐え続ける生活に苦しみ、

近所から苦情がくるほど言葉にならない奇声を発し続けたといいます。

それはもちろん心の痛みもあったでしょう。

バレエダンサーとしてこれからだというときに

知りもしない酔っ払いのせいで人生が激変してしまったのですから。

 

ダンスの仕事はほぼ無くし、出演しても自分だけ報酬が

もらえないこともあったのだとか。

「運が悪かったね」という言葉や「今の君は必要ない」という

冷たい言葉も散々かけられたそう。

 

当時の様子を自分は「粗大ごみ」だったと語っていました。

激痛に耐え、生きるためにダンスではない日雇い仕事をこなす日々。

 

途方にくれた大前さんは、体も心もボロボロに傷つき

感情を抑えきれずに人目も気にせず泣いていたそうです。

 

そうしてまた使えないとクビにされ、心を無くして生きてきたといいます。

その間約10年。

ですが大前さんは大好きなダンスを忘れられませんでした。

絶望の淵にありながらも、義足を外して踊ったことで

自分にしかできない

ダンスがあると気づきます。

 

そこから大前さんは自らの運命を受け入れ変わっていったのです。

大前さんを支えてくれた舞踊家の佐藤典子さんという方が

いらっしゃいます。

佐藤さんにはバレエをやっていた娘さんがいました。

その娘さんは、骨肉腫で脚を切断したものの助からず

20代で亡くなってしまったそうです。

 

佐藤さんはそんな娘さんと大前さんを重ねていたのかもしれません。

佐藤さんは大前さんにこんな言葉をかけたそうです。

 

「人間は生まれながらに定められた自分の台本を持つ。

それは変えられない。でもだからこそ、その台本を自分らしく演じきらなくては」。

そこで大前さんは「決められた運命ならば自分でその道を歩いてみせる」

と考え改め、そんな踊りにしようと再スタートしています。

壮絶な10年間を知ると、正直生きているだけでもすごいと思ってしまいます。

 

それでも大前さんは義足のダンサーとして評価されるためではなく、

ダンサー・大前光市として観客を魅了するために再び舞台に立ちました。

その言葉の通り、大前さんのダンスは見ていても片足だということが

全く気になりません。

 

おそらく身体にかかる負担などもあるので体力作りなども常に人一倍

努力されていると思います。

足のついた義足ではバレエの動きのようにつま先を伸ばして使えないので、

ダンスのテーマにより義足を変えるなど工夫もしているそう。

 

それでも不思議なのは、ダンスが始まった瞬間に大前さんの世界感に

グッと引き込まれてしまい、義足がどうのこうのというのは

頭の中から消えてしまうことです。

残されたものでどう表現するか、これは義足のダンサー

GIMICOさんも言っていました。

また、多くのパラリンピアンたちも言っています。

 

[障害は個性である]、と,

人と比較するのではなく自分にしかできないことを

考えた結果大前さんの今があります。

 

再スタートを切ってからは様々なジャンルのダンスも学

自分の体の動きに反映させたくさんの賞も受賞しました。

そして現在はフリースタイルダンサーとしてダンス指導や講演なども

積極的に行っています。

 

 BY:https://olm2020.jp/522.html

  

現在は、バレエ用品で知られる大手ダンス用品メーカーCHACOTTの商品「Chacott×Tripure」

イメージキャラクターに起用され、発表会を兼ねたスペシャルイベントではオリジナルパフォーマンスなど

を披露して会場を沸かせました。