占いのプロになるには!

 

 算命学の鑑定士 原田明穂さんの

http://www.itft.co.jp/sanmeigaku/zatsugaku.html

ページに掲載されていた内容を、一部割愛して紹介します。

下記は、算命学を習うための考え方として取り上げたものではなく、

「プロの勉強とは」という考え方の事例です。

 

算命学が、1回や3回でわかると、いう無茶な講座もありますが、

5~10年勉強した人でも、壁に突き当たっているのに

「すぐ使える算命学講座」をやっているところがあります。

講師は、“暗~い”感じの女性です。

 

算命学が好きな人は、暗いタイプが多い。

算命学で「幸せ」を売り物にしている講座が、ありますが、

抽象的に宿命を知るのみです、どこに幸せがありますか?

ここまでは、苦言、余談です。

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3年の歳月の意味と大切さ
プロの鑑定士を目指され、鑑定に必要な最低限の技術と知識・心構えを身に付けていただく

には、最低でも3年以上は学んでいただかなくてはなりません。
(どうしても早く習得したいと願うなら、短時日で教えることは可能ですし、

それにお応えする事はできます。

しかし、これは決して良い事ではありません。

(良いことでないというより、まったく役に立ちません、わかったという錯覚です。

この段階で制止も聞かず、独立した女性もいます、もうすこし言えば、

独学でわかったという自意識過剰の女史もいました)

とりあえず物事をせっかちに終わらせようとするならば、人為的に短縮を行うことが出来ます。

しかしこれは、

 

気のエネルギーを中途半端に備わってしまった未完成な人を送り出すことになってしまうのです。

 

何故、3年なのか?これは、
・物事を学ぶ
・物事をやり遂げる
・商売を軌道に乗せる
・やってきたことに関しての判定を下すと、

いったことに対しての、評価や結論を出すためには、最低限重要で必要な時間になるのです。

たとえば、何かの商売を始めたとします。
一年目は、「儲かるのか儲からないのか」かなり不安の中でペース配分を忘れて

一生懸命に働きます。
二年目は、一年目の教訓を生かして、同じような力で確認しながら働いていきます。
三年目は、これまでやってきた事を見直し反省して、もしこの時点で商売がうまくいっていた

ならば、これまでのことに間違いないことに気づきます。
「やっと軌道に乗せられた」というような感覚が得られるのです。

世間一般的に、また運命学や仏教などの精神世界の分野では、3・5・7という数字が

よく使われます。

(七・五・三なら理解できるのでは、子供の写真を撮るためとは、違いますが)

これらの数字は、運命数といって人がこの世で何かを成すには、

かなり重要な数字になるのです。

 

実は、数字には重要な意味が隠されているのです。

違った形で説明しますと、二人で囲碁を打っていたとしましょう。
一手目は、どこに打つかは分かりませんし、どこに向かっていくのかも分かりません。
次は相手が二手目を打ちますが、これも「相手はここに打ってきたのか」という感覚にしかなりません。
三手目になりますと、「ここに打ってきたなら、この先の展開はこうなるだろう」
といった具合に方向性が定まってきます。

人は生まれてから、
1年目で「天の気」が授かるといわれています。
2年目で「地の気」が授かります。
 そして、
3年目で「人の気」が授かるのです。
要するに、3年目で人間の仲間入りができ、2年までは人間として未熟であるとされています。
これを半人前「青二才」といわれるのです。

(人間の仲間=会社、組織、世間、実際は、30年)
※青二才とは、人生の初めの時期で、人としては一人前ではなく、まだまだ未完成ということなのです

青は人生の初めの場所にあります。

そして、季節は春を意味しています。
ですので、人生の思春期あたりの時代を

「青春」といわれているのです。

人は、何かを完成させるには、必ず3年という歳月をかけなければ、十分な気が備わらないのです。
「石の上にも三年」といわれるのも、そのような意味が含まれています。

地球は1年・365日の時間をかけて太陽の周りを回ります。
これを「半年にして欲しい」と願っても無理な話なのです。

そして何を行うにしても「天」「地」「人」3才のエネルギーが備わるには、

地球が太陽の周りを3回通過しないと備わらないのです。

鑑定士としてそれなりの知識と気構えが備わるのに三年。
さらに、鑑定士として軌道に乗せられるのに、三年。
そして、講師として軌道に乗せられるのに、三年の歳月がかかるのです。

学ぶということは、同時に「人生の成否」

「人の生死」「家族の行く末」等々の多くのことを知り学んでいかれるのです。

(人生経験が必要です)

学ばれている多くは、開始して1年か2年は、学習と並行して自分や家族や知人など

周辺のことばかりを気にされ、そして学ばれると同時に、

知り得た事に対して一喜一憂していきます。

 

一部の人は、この段階で、去っていきます。

早い人は、プロを目指したのに3か月で!


これが悪いというのでは、ありません。

自分の知らなかったことばかりなのです。

良い意味、悪い意味を含めて、実に新鮮なものです。

一種のカルチャーショックを受けてしまいますので、これも仕方のないことなのです。

しかし、こういった精神状態になるのが分かっていながら、短時間で技法を詰めみ、

さらに、全く動じない心を作り、精神を昇華させていくこと、

(これができる人がプロになる資格があります)


また、自分が、落ち着きのない未熟な状態で、相談者を導いていくことはさらに困難なことなのです。

 

物事を成すためには、どの世界においても最低でも3年の歳月がかかるのです。

 

「私は何倍ものの努力をしたから完成している」という反論があるかもしれませんが、

心技体の中から、

必ず欠けた何かが出てくる」のです。

(これは経験しないとわかりません)

 

中途半端なエネルギーしか備わらなかった人が、人の人生を導こうとするならば、

間違った方向にしか導くことしか出来ません。

 

必ずや相談者、そして導いた本人も混迷の人生を歩んでいくことになるでしょう。
(※混迷に入る人の多くは、志がお金儲け中心に傾いてしまった人に多いといえます)

そして、この考えと理は、どのお仕事に携わっていても同じことが言えるのです。

三年という歳月は、「天」「地」「人」の気が備わる大切な歳月。

それは、「気」「体」「心」(気心体)の一致が得られる大切な時間帯といえるのです。

(残念ですが、大半の人にはわからないと思います、現実のプロの世界で生きて見なければ)

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  後に格言(私の実感から)

「10年間、同じ道を歩めば、それなりに感じることがある、

そこからが、本当のスタート」 

 

「石の上にも30年そうすれば、何かが見えてくる

(奥村信之:2003年  ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の胸像制作)

10年勉強、10年経験、10年実力発揮、

30年で何かが見える。

上記、文中の1年目、2年目、3年目に10を掛けたら現実味が出ます。

10年勉強しないといけないなら勉強しませんという人もいますが、

(どうぞ勉強しないでください!相談者が迷惑します)

私は、40年近くになりますが、日々勉強、日々発見です。

 

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